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郷土玩具「赤べこ」

赤べこ」は福島県会津若松市の郷土玩具です。
その頭にちょこんと触れれば、ゆらゆらと揺れる姿が可愛らしい張り子で作られた赤い牛の縁起物です。
 
古くは「厄除け牛」や「幸運の牛」と呼ばれ、魔除けや疫病除けの縁起物として会津の人々に親しまれてきました。
赤べこ発祥の地・柳津町内ではいろいろな場所に赤べこの親子が姿を現わします。
因みに、お父さんが「福太郎」、お母さんが「満子」、子供が「もうくん」と「あいちゃん」です。
 

赤べこ伝説

今から400年前程の慶長15(1611)年に会津地方を襲った大地震
虚空藏堂を始め、僧舎・民家が倒壊し柳津町も大被害を受けました。
震災後の元和3(1617)年に
初めて虚空藏堂(本堂)は現在の厳上に建てられましたが、
本堂再建のため大材を厳上に運ぶのに大変困り果てていたところ、
仏のお導きか、どこからともなく力強そうな赤毛の牛の群れが現れ、
大材運搬に苦労していた黒毛の牛を助け、
見事、虚空藏堂(本堂)を建てることが出来ました。
一生懸命手伝った赤毛の牛を「赤べこ」と呼び、忍耐と力強さが伝わり
更には、福を運ぶ「赤べこ」として多くの人々に親しまれるようになりました。
この伝説が、柳津町が「赤べこ発祥の地」と言われる由縁です。
柳津町(やないづまち)は、福島県会津地方の河沼郡に属する町。
圓蔵寺の門前町として発展、会津を代表する観光地です。
12年に一度の丑年に、『丑寅まつり』が行われています。
  

疫病除けのお守り

真っ赤な色が特徴の「赤べこ」ですが、「疫病除け」の願いが込められた工芸品でもあります。
会津地方にはかつて、天然痘と呼ばれる感染症が流行していました。
その感染症は、死に至るほど危険なもので、幼い子供が感染しては多くの命を落としていました。
そこで、病気で苦しむ子供に健康になる願いを込めて「赤べこ」を贈るようになったという言い伝えがあります。
 

郷土玩具「赤べこ」誕生

赤べこ」が作られるようになった起源は諸説あります。
 
今からおよそ400年程前、当時、会津を治めていた城主の蒲生氏郷は仕事がなく生活に困っていた藩士達を守るために副業奨励策を推進していました。
その一環として、圓蔵寺の「赤べこ伝説」に倣い、京都から職人を招いて藩士達に張り子づくりを学ばせ、張り子のべこ人形を作らせたというもので、これが郷土玩具「赤べこ」の原型とされています。
 
それが今日の「赤べこ」に見られる、腰高で角ばった形となったのは明治初期。
更に、赤塗りに黒の斑点、白の縁取りに統一されたのは大正末期です。
 
その後、観光土産用として、ラッカー(光沢のある塗料)で塗られた「赤べこ」が量産されるようになりました。
 
昭和36(1961)年の丑年、ラッカー塗りの「赤べこ」と岩手県花巻市の「金べこ」がともに年賀切手図案に採用されると、一躍、全国的な人気者となりました。
  

赤べこの仲間

実は「赤べこ」は、学問の神様・菅原道真公をかたどった「会津天神」や何度転がしても起き上がる「起き上がり小法師」、「会津だるま」などとともに、会津地方で作られてきた「会津張り子」のひとつです。
 
「張り子」とは、木型に何枚もの紙を貼り重ね、乾いたところで型を抜いて作る工芸品のことを言います。
 
会津張り子」の発祥は、江戸時代の歌舞伎から着想を得て作られた福島県三春町の「三春張り子」の模倣という説と、1590年に伊勢(現在の三重県)から会津に転封された領主の蒲生氏郷が、京都から職人を招いて藩士達に張り子作りを学ばせたのが始まりとする説があります。
 
 

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